2011年10月02日

川端裕人『てのひらの中の宇宙』

闘病中の妻と5歳男児ミライと2歳のアスカと暮らす僕の連作短編5編。
科学小説、とあるが哲学小説とも読める。ミライの気づきが僕の気づきになる。

カメの背中に都市がある。カメは宇宙へ向けて飛び出すと父カメの口から飛び出す。その先には祖父カメの口、曾祖父カメの口…。
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2011年10月01日

シュニッツラー著 番匠谷英一・山本有三訳『花・死人に口なし 他7篇』

花 : わかれ : 死人に口なし : 盲目のジェロニモとその兄 : アンドレーアス・タマイアーの最後の手紙 : ギリシャの踊り子 : 新しい歌 : レデゴンダの日記 : 情婦殺し

シュニッツラー初期の短編集。19世紀末のウィーンという時代背景もあり、詩情が豊かで結構がかっちりいていて隙がなくてテーマは愛と死、という、もう王道の中の王道といった9編が並ぶ。1930年代の訳だがむしろ新鮮に感じるほどの端整な日本語もよい。
わかれ、情婦殺しは山本訳。他は番匠谷訳。
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2011年09月29日

桜庭一樹『青年のための読書クラブ』

聖マリアナ学園で鬼子扱いの読書クラブで書き継がれるクラブ誌のうち、1969年、1959年、1989年、2009年、2019年に書かれた5編を後年再編成するという形で書かれる。
ゆかしいお嬢様学校の生活、女生徒の中から男役たる王子を選ぶ伝統、という設定にもかかわらず、主役の読書クラブ員は地味な活動をし、さらにそのなかでも目につかない者がクラブ誌を執筆している。
すらすらさらさら読めておもしろい。
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2011年09月28日

伊藤計劃『メタルギア ソリッド ガンズ オブ ザ パトリオット』

日本語だし作者と同年代なのだけれど異時代の翻訳物を読んでいるようで、設定や背景や人物(そもそも人なのか)が全く理解できない。読み進めると多少はわかるかと思うがそうでもないまま収束した。あとがきでゲームのノベライズとわかるが、そのゲームも初めて聞く名前なのでさっぱりわからない。
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植木理恵『シロクマのことだけは考えるな!』

副題:人生が急にオモシロくなる心理術

気鋭の心理学者が身近なことだけにフォーカスを当てた心理学の書籍。
実に実におもしろい。題名は、シロクマのことを考えまいという努力を強いると却ってシロクマの姿が脳裏にチラつくという「シロクマ実験」と呼ばれる認知研究を指す。
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2011年09月25日

里見ク「彼岸花」

『里見ク作品集』所収。1958年6月初出で、小津安次郎監督「彼岸花」の原作として書かれた短編。
旧制高校同窓の三上・平山・安藤の友達づきあいとそれぞれの娘との交流。三上と娘の文子(同棲の男に死に別れて修道院入り)、平山と娘の節子(安藤の義弟谷口と恋仲)、安藤と娘の美代(新婚)、河合はつと娘の幸子。

題名の彼岸花は、三上の代わりに修道院の文子を訪ねた妹の回想の中で出てくる。初秋の線路沿いに咲く真っ盛りの彼岸花がにじんだ紅(あか)さを目に誘う。
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2011年09月22日

原武史『「鉄学」概論』

まさに概論、というべき非常におもしろい内容。

鉄道を介して社会を歴史を文化を見通す内容は多岐にわたり、視野狭窄ないわゆる鉄ヲタとは明らかに次元が異なる好著。鉄分が少なすぎて貧血ぎみな自分にも十分すぎるほど楽しめる。

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2011年09月21日

東文彦『東文彦作品集』

私はあまりにも云いたいことに溢れている。(略) 云いたいことが、白昼の幻のように押しよせて来て、私にほんとうの安静を許さないのだ。私はまずその幻を鎮めなければいけない。それには、はっきりと文字に書きとめておくことが一ばんいいらしいのだ。文字になると、それらの幻はもう私を苦しめない。それは恰度、中有に迷っていた魂が、心を籠めたひとつの言葉によって、永久に鎮められるようなものだった。私のこの記録は、いわばひとつの鎮魂の歌だと云えるかも知れない。(「午後の時」p.87)


創作Tを読んでから三島由紀夫の序文を読むと、時間の流れが早くなる気がする。それは自決の一ヶ月前に書かれた三島晩年の序文だからというのではなく、東の文章が読み手に緊張を熟読を強いているという印象から来るのかもしれない。
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2011年09月17日

朝倉かすみ『そんなはずない』

北海道にすむ鳩子、その妹で変わり者の塔子、両親、鳩子の元彼たち、そして院生の午来新太郎。
薄井孝道との婚約が破談になり、30歳になり、勤務先が倒産し、午来新太郎と出会う鳩子が、勤務先を図書館に変えたり妹の暗躍で元彼と再開したり午来とつきあっていく。女性のめんどくささがさまざまに形を変えて書かれていて嫌になるほど。男性陣が純粋だったり情けなかったり愛すべきバカだったりと純度100%の単純さで書かれる対比がおもしろい。

関東在住の自分には雪掻きの道具「ママさんダンプ」が想像できないのは、ブックトラックを「ブックオフでよく見るような、本棚式の台車」と表現するのと同じ種類の認識の相違だと思うので範囲内だが、概念が具体的な絵になって思い浮かぶことを「(○○の絵)がくる」としたりエプロンをくぐるという表現に少しつかえる。こういう軽い違和感は逆に個性的で気持ちいい。

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サミュエル・ジョンソン著 朱牟田夏雄訳『幸福の探求』

副題:アビシニアの王子ラセラスの物語

何一つ不自由ない幸いの谷に幽閉された王子ラセラスが妹王女とその侍女ペクアーを連れて賢者イムラックとともに外界へ旅に出、幸福とは何かを探して様々な人に会い話を聞く。ペクアーは信仰に、王女は学問に、王子は施政に、イムラックは人生の目標を定めない生き方、とそれぞれの幸福を見出だし、故国アビシニアへ帰還する。

18世紀のイギリス文学を戦後の訳文で読むが、古さよりも万古不易の事柄に背を伸ばす思いがする。しかしいかんせん、28歳のはずのラセラスの考え方が年寄りじみていて苦笑。
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